SRPPハイインピーダンスアンプ編 - 昭和サウンドトランジスタアンプ


手持ちのスピーカーを生かしてレトロなサウンドが楽しめる出力トランス付きトランジスタアンプを作るシリーズ第2弾。
コンセプトは「昭和サウンドアンプ」。当時の回路方式でアンプを組み、テレビやラジカセといった身近で聴いていた音を再現します。
Hi-Fiとは真逆の音質ですが、昭和歌謡や再放送番組を聴けば、これまた味があって良いものです。
SRPP回路
今回遊ぶのは1980年代にブラウン管テレビ音声出力回路として使われていたバイポーラトランジスタ式SRPP(シャント・レギュレーテッド・プッシュ・プル)回路。
高電圧低電流に向いた方式であり、懐かしのサウンドを楽しむのみならず、放送設備用ハイインピーダンススピーカーを家庭で楽しむための「自作ハイインピーダンスアンプ」としてもお使いいただけます。
100Vrmsは出せないためハイインピーダンススピーカーをフルパワーでは鳴らすことはできませんが、BGM用ならば十分実用になります。

アルニコマグネットのスピーカーとジャンクの出力トランスを使ってブラウン管テレビの音を再現したり、
ハイインピーダンススピーカーで「お昼の放送」で流れていた懐かしのチューンを聴いたり。
1台で2通りの楽しみ方ができるアンプのご紹介です。

<ご注意>
・このサイトを参考に実験を行い、火災、感電等がおきましても筆者は一切責任を取ることはできません。
実験される場合は必ず自己責任でお願いいたします。
・回路の特性上、100V近い電源電圧を扱います。
感電、素子の耐圧に十分ご注意ください。
・電源を切っても電解コンデンサに高電圧が残っていることがあります。
ブレッドボードを組み替える際は
電解コンデンサの残電圧をテスターで確認することをお勧めします。

1. レトロテレビの音声回路

トランジスタ式SRPP回路は、1980年代のブラウン管テレビによく使わていました。
アナログテレビ放送終了前の2000年代後半、田舎は不法投棄TVであふれていました。
まだバイトができない年齢だった僕は電子部品を入手すべく毎週末のように防風林に出かけは基板とスピーカーを回収しに行っており、多数のテレビの基板を見てきました。
1980年代のモノラルスピーカーのテレビは、ガチャガチャ式やプッシュ式はもちろんのこと、設計の新しいリモコン式のものでもほとんど音声出力回路が「高電源電圧+NPNトランジスタ2つ+音声出力トランス」のSRPPであった記憶です。
1970年代のガチャガチャ式は前回遊んだ「高電圧電源+A級シングル」がメイン、1990年代に入ると「低電源電圧+OTL(アウトプットトランスレス)のICアンプ」がメインになっていました。
ナショナルレトロテレビの基板
写真はかつて所有していたプッシュボタン式レトロテレビ "TH14-N36” の音声回路です。
基板上の「音声」と書かれた区域に、出力トランスが目立っています。
TO-92サイズのトランジスタQ201・Q202が並んでいる部分がSRPP部分です。
またQ201とQ202の間にあるダイオードが、SRPPの特徴的なプル側回路を構成しています。
それでは別のブラウン管テレビの回路図を例に、実際に使われていたSRPP回路を見てみます。

レトロテレビの音声回路例

実家にあったブラウン管テレビも例外でなく、SRPP回路が使われていました。
ブラウン管テレビの型番が分からないのですが、付属していた回路図から低周波増幅回路部を引用します。
※元の取説はデジタル化の際にテレビ本体とまとめて処分され、手元にあるのは音声部分をコピーしたものだけのためテレビの型番が分かりません。
1983年製のもので、C14-493Aの姉妹機(同じデザインの収納式リモコンで、木目調塗装がされた20インチくらいのビデオ入力付き)です。
日立のブラウン管テレビに使わていた回路
10年以上前、取説と一緒についていたこの回路図をなんとなく見ていてSRPPと出会いましたが、当時の私はなんでこの回路で音が出るのかさっぱり理解できませんでした。
当時はICの型番を検索しても当時は見つからず、またトランジスタSRPPはオーディオアンプ自作には使われていない回路方式であることもあり、いくら検索しても図書館に行っても見つからなかったのです。
とりあえず複合機で回路図をコピーしたものの、ハイインピーダンスアンプすら知らなかった当時は全く歯が立たず、そのまま押入れ行きとなりました。
月日は流れ、最近片付けをしている際にコピーした回路図が出てきました。

改めて回路図を眺めてみると、トランスは出力カップリングコンデンサで接続されており、A級シングルのようにトランスに直流を流すこともなければDEPPのようにセンタータップが必要なわけでもありません。
図面に書かれている電圧を見ると、トランスの1次側で25Vrms程度は取出せそうです。
25Vrmsあれば3.3kΩ(100V系3W)タイプのハイインピーダンススピーカーを190mW、10kΩ(100V系1W)タイプでも60mWで鳴らすことができます。

以上から、SRPP回路は自宅で放送設備用のハイインピーダンススピーカーを鳴らすのに使えそうと考えました。

改めて"uPC1382"を検索してみたところデータシートが出てくるようになっており、この回路のことを"SRPP"と呼ぶということも今年初めて知りました。
オーディオ用途でのSRPP回路というと、検索して出てくる自作例は相変わらず電圧制御素子である真空管やFETを使ったものばかりですが、今回はレトロテレビの音声回路を元にバイポーラトランジスタでの製作に挑戦します。

SRPPは製作例が出てこない回路のため、前置き(2章・3章)が非常に長くなっています。
お急ぎの方は4章へジャンプください。

2. 動作を理解する

SRPPとはシャント・レギュレーテッド・プッシュ・プルの略です。
名前の通り、回路はシャントレギュレータ+プッシュプルになっています。
文献があったわけではないため、僕なりのにレトロテレビの回路図を見ながら理解した内容をまとめておきます。
かつてさっぱりわからなかった過去の自分に説明するイメージでまとめています。

定石に従って交流動作と直流動作に分けて考えてきます。

プッシュ・プル部分(交流)

まずは交流動作から見ていきます。
SRPPでは、下図のように「エミッタ接地+エミッタホロワ」によるプッシュ動作と、「エミッタ接地」によるプル動作が切り替わることでプッシュプル動作となっています。
※図中の電圧はPN接合の順方向電圧降下を0.6Vとして描いています。
SRPPの動作1 入力がマイナスの時は、Tr2のベース電流が減少することでTr2のコレクタ電流が低下します。
すると抵抗R3の電圧降下が小さくなり、Tr1のベース電圧が上昇してTr1がONします。
Tr1はエミッタホロワとして動作し出力に電流を吐き出します。(プッシュ)
ダイオードDはTr1のベースエミッタ間電圧-0.6Vで逆バイアスされる形となるため、ダイオードDはOFFします。

入力がプラスの時は、Tr2のベース電流が増加することでTr2のコレクタ電流が上昇します。
すると抵抗R3の電圧降下は大きくなり、Tr2のコレクタ電圧が低下してダイオードがONします。
Tr2はエミッタ接地として動作し、ダイオードDを通じて出力から電流を吸い込みます。(プル)
Tr1はダイオードDの順方向電圧によりベースエミッタ間が-0.6Vで逆バイアスされる形となるため、Tr1はOFFします。

以上で見てきた動作から、SRPPは「エミッタ接地が苦手な仕事をエミッタホロワの助けてもらっている回路」ともいえますし、「エミッタ接地とエミッタホロワが互いに得意分野で協力し合って成り立っている回路」とも言えます。
SRPPの動作2
まずNPNトランジスタで作ったエミッタ接地は、吸い込み電流は得意です。
実用回路ではスイッチング回路としてパワーLEDやモーターの制御にも使われています。
また電圧利得を稼ぐのもエミッタ接地の仕事です。
一方、吐き出し電流はコレクタ抵抗Rcに制限されるため苦手です。
エミッタ接地で大きな吐き出し電流を得ようとすれば、Rcを小さくしなければなりません。
Rcを小さくすると消費電力が増えてしまいますし、大きな電圧利得も取れなくなってしまいます。

そこで電流ブースターであるエミッタホロワが登場してきます。
エミッタホロワは電圧利得は持ちませんが、エミッタ接地が苦手とする吐き出し電流を大きく増幅することができます。
NPNトランジスタで作ったエミッタホロワにとって吐き出し電流は得意分野であり、実用回路では例えば正電源の定電圧電源回路の出力段として使用されています。
一方、エミッタ接地とは逆に吸い込み電流はReに制限され苦手です。
こちらもReを小さくすれば大きな吸い込み電流をとれるようになりますが、消費電力ばかり増えてしまい電力が無駄になります。

オーディオプリアンプなど出力インピーダンスが1kΩ程度で良い用途では、電圧増幅と電流増幅の分業体制をとり、例えばRe=1kΩとしてダイオードなしで「エミッタ接地+エミッタホロワ」の2段直結増幅回路として使われます。
しかし今回のように負荷が重い場合、シングルのエミッタホロワではReが小さければ消費電力が増え、Reが大きければ吸い込み電流が不足するという状況になり、分業体制では消費電力と駆動力を両立させることができません。

そこでダイオードでエミッタ接地のコレクタと出力端子をつなぐことで、 「エミッタ接地が得意な吸い込みは自分でやり、苦手な吐き出しはエミッタホロワに助けてもらう」ことができるようになります。
別な見方をすれば、「電圧増幅と吸い込みが得意なエミッタ接地、電流増幅と吐き出しが得意なエミッタホロワが協力し合っている」とも言えます。

シャント・レギュレーテッド部分(直流)

続いて直流関係を見ていきます。
実は次節で示す回路図の変形をした方がもっと直感的で分かりやすくなるのですが、せっかく「シャントレギュレーテッド」という名前がついていますから、まずはシャントレギュレータを基にして考えてみます。
シャントレギュレータ 一般的なシャントレギュレータである基準電圧用ICと見比べてみます。
基準電圧ICは、ツェナーダイオードより高精度な基準電圧が欲しい際にツェナーダイオードと同じような配線で使えるICです。
誤差増幅器がトランジスタのベース電流を制御することでコレクタ電流を制御し、抵抗Rの電圧降下を変化させてコレクタ電圧が一定になるよう制御します。

シャントレギュレータはトランジスタ単品で構成することもできます。
トランジスタのベースエミッタ間PN接合の順方向電圧は約0.6Vです。
よって抵抗R2に掛かる電圧が0.6Vとなりますから、抵抗R1に流れる電流は 0.6/R2 となります。
ベース電流が十分小さく無視できるとすると抵抗R1とR2に流れる電流は等しくなりますから、抵抗R1ので電圧降下は
(0.6/R2)R1 となり、出力電圧は0.6Vに抵抗R1の電圧降下を足した値となります。
ここで仮にVinが上昇してくると、ベース電圧が0.6Vより上がろうとします。
ベース電圧が上がろうとすればコレクタ電流が増加しますから、その分R3に発生する電圧降下が大きくなってVinの上昇を吸収し、コレクタ電圧はほぼ一定に保たれます。
つまり、一種のNFB回路になっています。
このトランジスタと抵抗分圧回路の組み合わせによる定電圧回路はエミッタがGNDから浮いていても使用でき、自作アンプの世界ではプッシュプルエミッタホロワのバイアス回路として多用されています。

続いてエミッタホロワとダイオードを追加すると見事にSRPPの回路となります。
無信号時、エミッタホロワのベースにはR3から電流が流れてきてエミッタホロワはONとなります。
ダイオードはエミッタホロワのベースエミッタ電圧0.6Vで逆バイアスされOFFとなります。
負荷はコンデンサカップリングとなっており、無信号時には負荷に直流電流は流れていきません。
よって、エミッタホロワの出力電流は全てバイアス抵抗R1・R2に流れていきます。
一方エミッタ接地は単品のシャントレギュレータの時と同じ要領で、R3の電圧降下を調整することでエミッタホロワの出力端子電圧が設定値になるように制御します。
エミッタホロワが負帰還ループに入ってしまっているため分かりにくいですが、「エミッタホロワのコレクタ・エミッタ間がシャントレギュレータにおける抵抗のように振る舞っている」ととらえれば、(個人的に違和感はあるものの)確かにシャントレギュレータになっていると言えます。

3. 有名な回路を基にした解釈

トランジスタによるSRPPの回路は電子工作系の本やサイトで見かけたことがなく、ぱっと見では良くわからない形をしています。
ところが、回路図を変形すると有名な回路の改造になっていると解釈することができます。
すると有名な回路の知識でSRPPの動作を解釈することができ、理解がしやすくなります。
ここでは多くの書籍に掲載されていて電子工作例も多い「定電圧電源回路」と「3石SEPPアンプ」という2つの回路をもとに、「有名回路をどのように改造すればSRPPになるか?」というアプローチで解釈してみます。

解釈1: 定電圧電源電源を改造

SRPPの回路を、Tr1を横倒しに、Tr2を左右反転させるように変形すると、見慣れた定電圧電源回路の形が見えてきます。
実は定電圧電源が隠れている 気持ち良いくらい見事に定電圧電源回路の形に描きかえることができました。
そしてどうも個人的に「シャントレギュレーテッド」という言葉に違和感があった理由もわかりました。
この回路を負荷側から見れば、シャントレギュレータではなくシリーズレギュレータです。

それでは変形した回路図を定電圧電源の回路図と見比べながら、SRPP回路を「定電圧電源回路を改造したもの」として解釈してみます。
定電圧電源を改造するとSRPPになる 一般的な定電圧電源回路ではTr2のエミッタ・GND間に基準電圧となるツェナーダイオードが入っていますが、SRPPではツェナーダイオードは使われていません。
ここはTr2のベースエミッタ間電圧0.6Vをツェナーダイオード代わりの基準電圧としているととらえれば問題ありません。
例えば定電圧電源回路設計に関して記述のある文献「定本トランジスタ回路の設計 p.237」でも、ツェナーダイオードを省略してトランジスタのVbeだけを使う方法が紹介されています。

定電圧電源との違いは3点あり、音声信号入力、ダイオード、誤差増幅器のトランジスタです。

まずは音声信号入力ですが、誤差増幅器に相当するTr2のベースに入力する形になっています。
定電圧電源回路ではR1・R2の分圧回路を可変抵抗器にすることで分圧比を連続的に変化させて電圧設定機能を実現しています。
SRPPではR1/R2は固定抵抗として無信号時電圧を決めておき(=バイアス)、そこに可変抵抗の上げ下げの代わりに音声信号を載せることで無信号時電圧を中心として出力電圧を上下させています。
音声信号で定電圧電源の電圧設定つまみを上下させているイメージです。

次はダイオードです。
回生機能を持たない一般的な定電圧電源は、負荷側から電流を吸い込むことはできません。
ダイオードがない普通の定電圧電源の場合、設定電圧を下げると誤差増幅器は出力電圧を下げようとしてTr1のベース電圧を落とします。
しかし、Tr1のベースエミッタ間ダイオードは逆バイアスされる形になりますから、Tr1はOFFするだけで出力側から電流を吸い込むことはできません。
吸い込み電流はR1・R2にしか流れる場所がなく、電圧を下げようとしてもR1・R2・Cout・トランスで決まる時定数より早く出力電圧を下げることができません。
これではとても音声信号の速度に追い付きません。
そこでダイオードを追加し、電圧を下げたい際は誤差増幅器が出力側から電流を吸い込めるようにすると、素早く設定電圧まで出力端子電圧を下げられるようになります。

ここで一つ重要なことが分かります。
ダイオードもTr1も順方向に0.6V以上かけなければONになりませんから、プッシュからプルに移行する際に片側0.6Vの不感帯が発生します。
回路構成上、どうしてもスイッチング歪が発生するということが分かります。
スピーカー端子から見れば0.6Vのスイッチング歪はトランスの巻き数比で圧縮され、さらにNFBで抑え込まれています。
スイッチングひずみについては、トランスとNFBを利用して「臭い物に蓋をする」形で動作していると言えます。
SRPPアンプを積んだレトロテレビを見ている際に歪が気になったことはありませんが、オーディオ目的の回路でこの構成のSRPPを全く見ない理由の一つと考えられます。

3つ目は誤差増幅器トランジスタTr2の種類です。
吐き出し電流しかない定電圧電源回路では、Tr1はパワートランジスタを使用しますがTr2は小信号用トランジスタで構いません。
Tr1は数Aの負荷電流を制御しますが、Tr2はTr1のベース電流を制御しているのみでせいぜい数mA~多くても数十mAしか流れません。
一方、誤差増幅器に電流を吸い込ませるSRPPでは、Tr2もパワートランジスタを使用する必要があります。
Tr1は吐き出し電流(プッシュ)担当、Tr2は吸い込み電流(プル)担当で、どちらのトランジスタにも大きな負荷電流が流れます。

解釈2: 3石SEPPアンプを改造

別の解釈として、電子工作初心者向けの自作アンプ入門用として登場して来ることの多い3石SEPPアンプをもとに解釈することもできます。
3石SEPP回路としての解釈しておくと、SRPP回路の改良にSEPP回路の知識が応用できて便利です。

回路図の変形はTr2の位置を一つ隣のラインに動かすだけですが、たったこれだけのことで回路図の見え方がガラリと変わってきます。
SEPPとして解釈 元の回路図では全然ピンとこなかったSRPPですが、トランジスタの位置をずらして描き直すと、ダイオードがSEPPのPNPトランジスタのBE間に見えて来ます。

それでは3石SEPPからスタートしてSRPPを作ってみます。
2ステップに分けて考えると楽です。
SEPPとして解釈
STEP 1 : 高電源電圧化・省エネ化


プッシュプルエミッタホロワ回路では、Tr1・Tr3が交互に動作しプッシュ・プルを繰り返しています。
トランジスタにはベースエミッタ間に約0.6Vの電圧降下があるため、プッシュプルの切り替わりの際に不感帯ができないよう、D1・D2でPN接合2つ分の電圧降下に相当する1.2Vをバイアスして与えています。

もしダイオードがないと、出力電圧の振幅が0.6V以下の時は両方のトランジスタがカットオフしてしまい、小音量で鳴らすことができません。
また大音量で鳴らす場合でも、Tr1・Tr3のプッシュ・プルが切り替わる(スイッチングする)際に0.6V以下の信号が増幅できず、出力波形のゼロクロス付近が著しく歪みます。いわゆる「スイッチングひずみ」と呼ばれる現象です。

実際の回路では、トランジスタのIb-Ic特性がゼロ付近では非線形になっているため、無信号時に出力トランジスタを完全にカットオフさせると、不感帯こそできないもののゼロクロス付近で波形が歪みます。
そこで、Tr1・Tr3に「アイドリング電流」と呼ばれる数mA~数十mAのコレクタ電流を流せるようD1・D2やTr2のコレクタ電流を選定します。
つまりゼロクロス付近はTr1・Tr3がともにオンとなるA級アンプとして動作し、ある程度の振幅以上では片方のトランジスタがOFFとなるB級動作をします。
SEPPアンプが「AB級アンプ」と呼ばれている理由です。

このアイドリング電流ですが、低い電源電圧で鳴らす場合はそれほど問題になりません。
例えば電源電圧12Vで鳴らす場合、10mAのアイドリング電流を流してもTr1・Tr3を合わせた消費電力は、
12V × 0.01A = 0.12W です。

ところが、SRPPでは高電圧で動作させます。
もし電源電圧を100Vとした場合、アイドリング電流が10mAあるとTr1・Tr3を合わせた消費電力は、
100V × 0.01A = 1W となり、電気の無駄ですし、場合によってはアイドリング電流だけで放熱器が欲しくなってきます。

そこで、思い切ってD1・D2を導線に置き換えてアイドリング電流をカットします。
R1・R2に流れる電流が非常に小さく無視できるとすれば、無信号時はトランジスタに電流が流れません
そこで、併せて熱暴走防止用のエミッタ抵抗R4・R5も取り外してしまいます。

D1・D2を取り去った場合、低電圧で動作させてスピーカーを直結する場合は歪で聴けたものではないですが、電源電圧が高ければ出力トランスで降圧してスピーカーを駆動できるため、見かけ上の歪を小さくすることができます。

例えば2Vの振幅を得たいとして、トランスレス回路とトランス付き回路で歪を比較してみます。
スピーカーを直結すると出力トランジスタがコレクタ損失オーバーで飛ぶため、負荷抵抗1kΩとして実験します。
出力トランスによる見かけ歪圧縮効果
プッシュプル部にバイアス回路がないSEPPでは、不感帯(Tr1・Tr3ともにカットオフされる領域)が存在します。
トランスレスで2Vの振幅を得る場合、出力信号の不艦隊付近における傾きが小さいため不感帯に入っている時間が長くなります。
不感帯を抜けるのに要する不感帯継続時間は71μsあり、波形を見ても大きく変形しています。

※不感帯がGNDよりマイナス側にずれている理由は、初段のバイアス(R1とR2)を出力からとっている関係で無信号時にTr1がONになっているためです。詳細は次章のSRPP回路での実験でご説明します。

一方、出力トランスを通して同じ振幅2Vの出力を得る場合は不感帯を抜けるのに要する時間は13μsになり、見た目の変形も大幅に改善されています。

ここでは10:1の出力トランスを使っていますから、トランスの二次側で2Vの振幅を得ている際の一次側振幅は20Vとなっています。
出力トランスを用いることで、トランスレス振幅20V相当の不感帯継続時間で振幅2Vを得られるということになります。
トランスレスで振幅2Vを得る場合に対し、「トランスのおかげで見かけ上の歪が小さくなった」と言えます。

ここで一つ重要なことに気づきます。
同じ音量を得たい時、できるだけ巻き数比の大きなトランスを使った方がスイッチング歪を小さくできるということです。
例えば10kΩ・3.3kΩのタップを持つハイインピーダンススピーカーをこの回路で鳴らしたい場合、大音量を出す必要がなければ10kΩタップで鳴らした方が歪の少ない音で聴くことができます。
実際に聴き比べてみても10kΩタップの方が良い音に聞こえます。

もちろんトランスを付けたところで歪がなくなるわけではありませんから、残った歪はNFBでねじ伏せて耳で聞いて歪が気にならないレベルに仕上げていきます。

STEP 2 : PNPトランジスタをダイオードに置き換える


アイドリング電流関係のパーツを取り払ったら、次にPNPトランジスタをダイオードに置き換えてしまえばSRPP回路となります。
SRPPではTr2にエミッタ抵抗が入っておらず、大きなコレクタ電流を流してTr2のコレクタ電圧をGND付近まで引き下げることができます。
エミッタ接地は電流を吸い込むことは得意で、マイコンでパワーLEDやリレーを制御する際に使われているほどです。
SRPPではトランスのおかげで負荷のインピーダンスが数百Ω~数kΩ台と高くなるため、PNPトランジスタの力を借りなくてもプル動作をさせることが可能です。

SRPPはテレビで使用されていた回路です。
コンポやラジカセと違って、音質よりも省エネ性やコストが重要になっていたものと想像します。

なお下図のようにPNPトランジスタを残した「SEPP+トランス結合」アンプが使用されていたレトロテレビもありました。
SHARPの赤いガチャガチャ式テレビの基板と音声出力回路を示します。
PNPトランジスタを残した構成
白いマーキングでパターンが塗られており見えにくいですが、Q302/303のベース同士はバイアス回路無しで直結されており、アイドリング電流を流さない回路になっています。

4. 最小構成での動作確認

オーディオ工作としてなじみがない回路だけに、前置きが非常に長くなってしまいました(^^;
ここからは実際にSRPPアンプを組み立てて実験していきます。
まずは最小構成で組んで動作波形を見ます。
最小構成のSRPPアンプ 電源電圧が高いため各部品とも耐圧に気を配る必要があるのですが、耐圧が掛かれてないことがある出力トランスは忘れがちです。
トランジスタラジオ用の数ボルトで使用することを想定している小さな出力トランスは使用不可です。
高電圧で使用する前提で設計されている、真空管アンプ用もしくはハイインピーダンススピーカー用を選定しておけば安心です。

SRPPでは出力トランスに直流を流しませんから、もちろん電源トランスでの代用も可能です。
電源トランスを出力トランスにする場合、とにかく高音が出るトランスを探すのがポイントです。
電源トランスは50/60Hzで使うためのものですから、高音域は苦手です。
ジャンクから取出したよくわからない中華トランスよりも、単品で売られている高価なトランスの方が音が良いようです。
手元の「トヨデン HT-123」を6章の2段構成で聴いてみましたが、気持ちの良い低音はさすが50/60Hz用に設計されている電源トランスといったところですし、高音域も電源トランスとは思えないほど伸びています。

電源部のLEDはブレッドボードで遊ぶ際の安全装置的な意味を持っています。
電源電圧が高いため、回路を組み替える際にAC電源を切っても、電源平滑コンデンサの残電圧で感電したり素子を壊す恐れがあります。
そこでLEDで残電圧チェックができるようにしておけば、LEDが消えるまで待ってから安心して回路を組み替えられます。
またAC電源OFF後に確実に安全な電圧まで平滑コンデンサを放電させる、ブリーダ抵抗のような役割も持っています。

トランジスタはジャンク箱を探し、昔ブラウン管テレビから外した高耐圧トランジスタを使用しました。
いろいろ差し替えてみましたが、耐圧100V以上のパワートランジスタでしたらどんな石でも使えそうです。
ただし、感電やブレッドボード上でのショート防止のため、パワートランジスタはフル樹脂モールドタイプを推奨します。

発振止めコンデンサは、発振したため追加したものです。
プッシュ側が発振する様子
発振止めコンデンサがないとプッシュ側波形が発振し、写真のように上側だけが太くなったような波形になりました。(分かりやすくするためNFBをかけて撮影したものです)
そこでR3に発振止め用のコンデンサを並列にして、Tr2の高域利得を下げることで発振を解消しました。
異常発振はトータルでの位相回転で決まりますから、配線の這いまわし・使用する部品・接続する機器によっては必ず発振止めが必要になるということではなく、逆に5600pFでは容量が足らないこともあります。
ここはオシロを見ながらトライ&エラーで決めます。

Rin 47Ωは、R1側から見た交流的なインピーダンスを下げることで、R1を通じて意図しないNFBがかかるのを防止して歪の様子が観察できるようにするために追加しています。

倍電圧整流で高電圧電源を確保

SRPPを自作しようとした場合、ネックになるのが高い電源電圧の確保です。
電源トランスは高額でそう簡単に買えるものではないため、おそらくここは「決める」のではなく「手持ち部品で決まってしまう」部分になります
24V程度の電源でも動くには動きますが、ハイインピーダンススピーカー接続時に音が小さすぎて実用になりません。
レトロテレビ内部ではコンセントを直接整流した電圧を抵抗で落としてSRPP回路用の100Vを作っていましたが、ブレッドボードで遊ぶのに電源をコンセントを直接整流して取ってくることなどとても恐ろしくてできません。
そこで、手持ちのトランスの中から入手性がよく、オペアンプを使ったアナログ電子工作をされている方でしたら持っている方も多そうな30V(±15V)のトランスを選定しました。
もちろん30Vでは全然足りませんので、倍電圧整流をします。
ダイオードの損失を片側0.6Vとすると、ピーク電圧は
60√2 - 1.2 ≒ 84V
となり、トランスの容量が大きければ最低でも80V程度は得られそうです。
±15Vトランスはトロイダル2AとEIコア0.2Aを持っていますが、実際聴いてみるとEIコア0.2Aで十分でした。
各部品はVcc=85Vを前提として選定しています。

SRPPアンプは設計方法が探しても見つからなかったため、どのように考えて部品定数を決めたかをAppendixとして巻末に添付します。

動作波形を見る

それでは早速回路を動かし、SRPP回路で特徴的である出力ダイオード周りの動作を見ていきます。
エミッタホロワとして動作するTr1にエミッタ抵抗を追加して波形を見比べると、プッシュプル切り替わりの動作を分かりやすく波形でとらえることができます。
実験回路と波形を示します。
動作波形
コレクタ電圧と出力波形を見てみると、小振幅時はVc波形が歪まずにVoutとして出力されます。

振幅が大きくなってくるとVoutが-0.8Vでクリップしますが、Vcはクリップしていません。
ダイオードがONとならずVcの変化がVoutに出てきていないためです。
SRPP回路は回路構成上、プッシュとプルが切り替わる際に切り替わる際に不感帯が存在し、大きなスイッチングひずみが発生します。
波形では平らになっている部分が不感帯にあたります。

さらに振幅を大きくしていくと、Vout<-0.8V も出力されてきますが、Voutのプル側は大きく歪んだ波形となり、Vcでみてもプル側が歪んできます。
これは、プル動作時にダイオードの電圧降下分振幅が小さくなるだけでなく、プッシュとプルで回路の出力インピーダンスが異なるためです。

プッシュ動作時はエミッタ接地+エミッタホロワとなるため、エミッタ接地から見ればバッファが付いていることになります。
よってプッシュ時はエミッタ接地で増幅されたゲインをインピーダンスを下げて送り出すことができ、大きなVoutとして取り出すことができます。
一方プル動作時は、ダイオードを通して出力インピーダンスが高いエミッタ接地で直接負荷を駆動しなければならないためVcがつぶれます。
VoutはつぶれたVcからさらにダイオードの電圧降下により振幅は削られます。結果、プル側のVoutは大きくつぶれたような形になってしまいます。

次に33kΩのエミッタ追加抵抗をONにしてみます。
エミッタ抵抗を追加すると、-0.8VではVoutがクリップせず、-2VでVoutがクリップするようになります。
スイッチ切り替えでクリップする電圧が変わる現象は、R1+R2がエミッタホロワTr1のエミッタ抵抗となっていることから説明できます。
左図のままでは分かりにくいため、分かりやすく描き直した回路図を使って考えてみます。
出力カップリングコンデンサCoutは十分大きいとして電圧源に置き換えます。
(実際のCout電圧は充放電により変動しますが、簡単のため電圧源で置きます。)
下図においてV_Coutは無信号時にのCout電圧を表しており、無信号時にVout = V_Coutとなります。
また、Tr1・ダイオードともにカットオフされている際のVout(不感帯の中心電圧)をVthとしています。
3つの領域 Vthは、V_CoutとR1+R2(追加抵抗ONの場合は+33kΩ)、RLによる分圧回路で決まります。
PN接合の順方向電圧降下を0.6Vとすると、VcがVth±0.6の範囲にある場合はTr1・ダイオードともにカットオフされ、Vout=Vthとなり波形が平らに見えます。
VcがVth+0.6を上回ればTr1がONとなりTr1のエミッタホロワによるプッシュ動作になります。
逆にVcがVth-0.6Vを下回ればダイオードがONとなり、Tr2のエミッタ接地によるプル動作となります。

5. 歪・ノイズを改善する

4章では最小構成で動波形を見てきましたが、音を聴くまでもなく何らかの歪対策を施さなければ実用にならないことが分かります。
実際に最小構成の回路で音楽を聴いてみましたが、もはやオーディオアンプではなく歪み系エフェクター状態でした。
しかし、SRPP回路はレトロテレビで普通の音として聞こえていたオーディオアンプ回路です。
歪を改善していけばオーディオアンプとして使えるはずです。
本章では、最小構成のSRPPに回路を追加し、音楽を聴けるレベルを目指して改善してきます。

NFBをかける

アンプにおいて「歪の改善」といえば、まずはなんといってもNFBです。
レトロテレビの回路ではNFBが掛かっていましたが、実験回路ではNFBがかかっていません。
そこでまずは簡単なNFBから試してみます。

実験回路波形を示します。
SRPPではバイアス抵抗R1を出力端子からとっていますから、入力カップリングコンデンサCinに直列抵抗Rsを挿入してR1側から見た信号源のACインピーダンスを上げるだけで、R1を通して出力端子からAC成分をTr2のベースに帰還させることができます。
そこで、R1のみを使う「弱いNFB」と、交流的にR1と並列にRfを挿入して積極的にAC分を負帰還させるルートを作る「強いNFB」の二つを試し、NFBがない場合と波形を比較してみます。
簡易NFB
NFBの効果は恐るべしです。
原型がサイン波であることすら分からないほどに歪んでいた波形を、見事にサイン波に見えるように補正してしまいました。
SRPP回路の欠点に対し、見事に臭い物に蓋をしています

まずプッシュとプルで振幅が大きく違う件については、NFBに尻を叩かれて(笑)Tr2のエミッタ接地が高出力インピーダンスでも頑張って負荷に負けじと大きな吸い込み電流を流すようになります。
結果、ほとんどプッシュとプルで差が見られないほどまで改善されました。
教科書に載っているNFBの効果の一つ「出力インピーダンスが低下する」を実感することができます。

次にプッシュプルの切り替わり時に発生する不感帯により波形が平らになる件は、一旦カットオフする以上さすがに歪を取り切ることまではできていません。
それでもTr2のコレクタ電圧Vcを見ると、不感帯を一瞬でジャンプするようになることで平らな部分の持続時間が非常に短くなり、歪というよりもノイズとして諦められるレベルまでは改善できています。

実際に音を聴いてみると、NFB「強」の回路はそれなりに聴けます。
安物のラジカセのようなガサガサした音にはなりますが、ラジオやテレビを聴く分には聴けないということはないレベルです。
ただし、音楽再生となると「チープな音」という印象でまだまだ物足らないです。

SRPPにはNFBが必須ということが分かりました。

続いて、気持ち良く音楽を楽しめるレベルを目指してさらなる性能の改善を試みます。

出力ダイオードを高速化する

今まで触れていませんでしたが、実はプルからプッシュへの切り替わり部の波形をよく見ると、ダイオードがOFFになるときに不自然な波形の歪が見られます。

NFBなしで撮影した波形を拡大して見てみます。
整流用D
拡大して見てみると、ダイオードがOFFからONに移行するときは不感帯部分は平らになっています。
一方ONからOFFに移行する時は行き過ぎて戻ったような形になっています。
まるで赤信号で止まるときに停止線を通り過ぎてしまってバックしたような波形です。
これは余計な波形(=ノイズ)が載ってしまいます。

これは、使用している出力ダイオードが商用周波数整流用の逆回復時間 trrが長いタイプのために、電圧が逆方向になってもすぐにダイオードがOFFに移行できないために発生しています。
クルマや自転車と同様、ダイオードの中を流れている電子もブレーキをかけても一瞬で止まることはできないというわけです。
そこでtrrの短いダイオード、いうならば「ブレ―キを強化した」ダイオードを使用すると、逆電圧になった際に速やかにOFFし、ノイズを小さくすることができます。
冒頭でご紹介したレトロテレビの回路図で指定されていた 1S2076 も、調べてみると高速(trr<8ns)を売りにしているスイッチング用でした。
ここでは、ジャンク箱に転がっていたスイッチング用ダイオード(型番不明)に置き換えて実験をしてみました。
整流用D
商用周波数電源整流用ダイオードの時と異なり、ダイオードがONからOFFへ移行する際も行き過ぎることなくストップし、不感帯では平らな波形となっています。
こちらのダイオードは整流用ダイオードと違い、きちっと停止線直前で止まります。

以上、SRPP回路に使用する出力ダイオードはtrrが短いスイッチング用ダイオードを使用した方が良さそうであることが確認できました。

リップルフィルタを試す

SRPP回路では無信号時にエミッタホロワTr1がONとなっています。
Tr1のバイアスはR3を通して電源から直接取ってきており、NFBが電源にリプルが含まれると出力端子にノイズとして出てきてしまいます。
そこで、バイアス回路にリップルフィルタを追加して効果を確認してみます。 リップルフィルター
回路としては、Tr1のベースへつながる回路へCRローパスフィルタを接続するだけです。
ここではfc≒16Hzとなります。

NON-NFBにして入力はGNDにショートし、ACカップリングのオシロで無信号時のリップルを比較してみるとかなりの効果があります。
出力端子でのノイズはピーク・トゥ・ピークで1/3に収まっています。

画面で見れば効果があるリップルフィルタですが、10:1トランス(VT0025AJ)で聴いてみたところ、耳で聴く分にはそれほどの効果は感じませんでした。
スピーカーはトランスで降圧して接続するため、スピーカーに耳を近づけない限りはリップルフィルタがなくても「ブーン」という音は聞こえてきません。

NFBをかければ出力リップルも抑えられますし、リップルフィルタ用の高耐圧コンデンサは場所を取りますから、リップルフィルタはあった方が良いが無くてもよさそうです。

バイアスダイオードを追加する

前章で「SRPPは3石SEPPアンプの改造版ととらえることができる」と述べましたが、SEPP同様のバイアス回路を設けることでスイッチングひずみを取り除くことができます。
μPC1832のデータシートにも、6ページにバイアス回路を持たせたSRPP回路が掲載されています。

実験回路と波形を示します。NFB無しで実験します。
出力ダイオードのON・OFFを観察するため、出力ダイオードの両端電圧波形をモニタします。
バイアスD
バイアスダイオードがない場合、出力ダイオード両端電圧(=Tr1ベースエミッタ間電圧)は約-0.8V~+0.7Vの間を行き来し、ダイオードとTr1が交互にON-OFFを繰り返していることが分かります。
4章で見てきたように、ONからOFFへ推移している不感帯の間はダイオード・トランジスタともにカットオフされて情報が失われ、プッシュ時もダイオードの電圧降下が差し引かれて振幅が小さくなったように見えます。

一方、バイアスダイオードを追加した場合は信号電圧によらず出力ダイオードは常時ONとなり、出力波形はスイッチング歪の目立たないきれいな波形になりました。
また、バイアスが与えられていますからプル時にダイオードの電圧降下が差し引かれることもなくプル側の振幅も維持できています。

続いて、不感帯周辺の動作について、分かりやすい和音でも見てみます。
音楽信号ではいろいろな楽器が合わさって成り立っていますし、各楽器の音も複数の高調波を含んでいます。
さすがに音楽信号では分かりにくいため、ここでは単純なサイン波で和音を作ります。
1kHzと、1kHzより3dB小さな2kHzの信号を重ね合わせた信号で実験しました。
バイアスD和音
バイアスダイオードがない(=不感帯が存在)場合、不感帯に収まってしまう振幅の小さな信号が完全に消滅して平らになっています。
Voutが平らになっている範囲のVcを見ると、ダイオードもトランジスタもON電圧に達しない範囲に、綺麗に一周期分収まっているのがよく分かります。

もちろんバイアスダイオードがある場合は、小さな信号も失われることなく出力されています。

以上のように、波形を見る限り取り付けない選択肢はないのでは?と思われるほどのメリットのあるバイアスダイオードですが、大きなデメリットも存在します
レトロテレビの回路でもバイアスダイオードはついていません。
SEPP回路同様、温度補償をしないと熱暴走します。

トランジスタのデータシートを見るとわかりやすいのですが、PN接合の順方向電圧降下は負の温度計数を持つため、Tr1の温度が上昇するとTr1のVbe-Ic特性はVbe軸が負の方向に移動してきます。
つまり、同じ電圧をベースエミッタ間にかけた場合、トランジスタが熱くなるほど大きなコレクタ電流Icが流れます
ここでバイアスダイオードが冷たいままだと一定の電圧をTr1のベースエミッタ間にかけ続けるためIcが増加、Icが増加することでさらに発熱・・・の無限ループに陥り、やがてトランジスタは壊れてしまいます。
実際にブレッドボードでの実験している際、焦げ臭くなってくることがしばしばありました。

対策はSEPP同様、バイアスダイオードとパワートランジスタを熱結合します。
トランジスタの温度が上昇してVbeが低下した際、ダイオードがトランジスタと熱結合されて同じ温度になっていれば、ダイオードの順方向電圧降下も一緒に低下してきます。移動したVbe-Ic特性に合わせてバイアス電圧も下がっていき、Ic上昇無限ループに入るすることはありません。
ただし、ダイオードとトランジスタの特性があっていないと熱結合しても意味がないため、部品のマッチングには注意が必要です。
特性をそろえるためには、ダイオード接続トランジスタを使って出力段と同じ石を使うか、SEPP回路のようにトランジスタを用いた定電圧回路を組むといった方法も考えられます。

なおµPC1382Cのデータシートに記載されているバイアスダイオード付きの回路例では、熱結合の指示はされていませんがTr1のコレクタに100Ωの抵抗が入っています。
コレクタ抵抗があれば熱暴走で電流が増加した際に抵抗の電圧降下でトランジスタを保護できますが、デメリットとして大音量が出せなくなるため、Tr1のコレクタに抵抗は入れるという選択肢は外しました。

ブートストラップコンデンサを追加する

音楽を聴く際は、打楽器のように瞬間的に大きな振幅が入ってくることがあります。
特に低音楽器が歪むと波形がクリップして中高域も全てつぶれてしまい、電池が消耗したラジオのように音が割れて非常に耳障りな音が発生します。
そこで、大音量時の歪の改善を試みます。

元のTr1のベース電流をR3一本でVccから与えているだけの回路を大音量で鳴らしてみると、最大出力付近でTr1のベース電流が不足して立ち上がり波形が歪みます。
R3を小さくすればベース電流を増やすことができますが、R3での電力消費が増えてしまいますしTr2によるエミッタ接地のゲインも下がってしまいます。

ここで「3石SEPPアンプの改造として解釈」しておいたことが役立ちます。
SEPP回路でよく使われていた「ブートストラップコンデンサ」をSRPPにも使用することができます。
ブートストラップコンデンサは、3石アンプのようにドライバ段が抵抗負荷となっている時代のアンプではよく使われていました。
ICアンプ時代になってからも、ドライバ段が能動負荷となっていない古いパワーアンプICでは、外付けブートストラップコンデンサ用の端子が出ていました。

ブートストラップは一種の正帰還で、出力端子の電圧とコンデンサに充電されている電圧を足してTr1のドライブ電圧を押し上げることができます。
最大出力付近でも出力を力強く立ち上がらせるだけでなく、出力電圧をほぼ電源電圧まで振れるようになります。

回路図と、負荷抵抗1kΩに対し出力が飽和するほどの音量で出力している際の波形比較を示します。
見やすくするため、バイアスダイオードと弱NFBで波形をきれいにして撮影しました。
波形は20V/DIVです。
ブートストラップコンデンサを追加
ブートストラップコンデンサがない場合は、電源電圧約88Vに対し、出力電圧82V程度で頭打ちになっています。

負荷抵抗1kΩはCoutでACカップリングしており、無信号時電位が35Vであることから負荷抵抗にはピークで
82 - 35 = 47V 掛かっています。
よってTr1のコレクタ電流は
47V / 1kΩ = 47mAとなります。

一方ピーク出力時にR3に掛かる電圧は、Tr1のベースエミッタ間電圧を0.6Vとすると
88 - (82 + 0.6) = 5.4V
よってTr1のベース電流は
5.4V / 10kΩ = 0.54mA です。

コレクタ電流はベース電流に対し約87倍となっています。
実験に使用したトランジスタ2SC3789-Dのhfeが60~120ですから、Tr1のhfeが87程度であったと考えられます。
Tr1のベース電流を流すために無信号時電位をVcc/2より低く設定していたため、電源電圧目いっぱいまでスイングしないのは意図したとおりの動作です。
問題は頭打ちになるかなり手前の70Vくらいから丸くなっていることです。

電圧が高くなればなるほど流せるベース電流が少なくなって素早く立ち上がれなくなるためですが、これでは実質70Vまでしか出せないのと同じです。
今回は「ハイインピーダンススピーカーを100Vより大幅に低い電圧で鳴らす」という都合上、少しでも大振幅を取りたいです。
立ち上がり側も、立下り側と同じようにギリギリまで頑張って欲しいものです。

そこで、ブートストラップコンデンサを追加し、電源電圧以上の電圧でバイアスできるようにします。
ブートストラップコンデンサを追加すると見事に解決し、頭打ちになる直前まで丸くならずに立ち上がっていき、電源電圧いっぱいまでスイングするようになります。

もちろんデメリットも存在します
ブートストラップは一種の正帰還回路ですから、NFBの効きが弱まることでスイッチングひずみが目立つようになります。
また、無信号時にはR3を10kΩから20kΩにしたのと同じですから、バイアスダイオードに流れる電流が小さくなることでもスイッチングひずみが目立つようになります。
後者については「無信号時消費電力が減る」という見方をすればメリットになります。「アナログ回路のトレードオフ」というやつですね!

次に、ブートストラップコンデンサによりバイアス電圧が上昇する様子を見てみます。
ブートストラップコンデンサを追加
クリッピングする直前まで音量を上げた状態です

ピーク時では、ブートストラップ電圧が電源電圧+20V程度まで電圧が上昇していることが分かります。
無信号時のTr1のエミッタ電位は約34Vですから、電源電圧88Vとすると、ブートストラップコンデンサには約27Vたまっていることになり、損失を考慮すれば+20V程度上がってくれていれば十分です。
20Vあれば、ベース電流は
20V / 10kΩ = 2mAも流すことができ、hfeの低いパワートランジスタ(hfe=40)を使用したとしてもコレクタ電流を80mAも流すことができます。

ブートストラップコンデンサの容量は、手持ちの高耐圧コンデンサの関係で適当に22μFを取り付けました。
ブートストラップコンデンサが放電する際は、10kΩが並列となった5kΩがコンデンサにとっての負荷に見えますから、カットオフ周波数は
fc = 1/2πCR より 1.4Hz となり、オーディオ帯域に対して十分小さな値となっています。

THD+Nを測る

試してきた回路の効果を数値で比較するため、フリーソフトとUSBオーディオインターフェースを使って簡易的にTHD+Nを測定してみました。
THD+N測定回路
オーディオインターフェースはHARD OFFのジャンクで500円で買ったUA-1G、
フリーソフトは定番のWaveSpectra + WaveGeneです。
パソコンはdynabook R734/M + Win10 Proを使用し、パソコン本体のUSB端子へ接続しました。
周波数は996.09375Hz (1kHzに対しFFT用に最適化)、FFTサンプルデータ数は4096、窓関数は「なし(矩形)」です。

波形の撮影では簡易的にUA-1Gのヘッドホン端子を使用して内蔵ヘッドホンアンプをバッファ代わりに使用していましたが、ここではノイズの影響を少しでも減らすため、オーディオ用OPアンプを使った電池駆動のバッファを設けライン出力端子を使用しました。

NFBなしの場合


まずはNFBなしで試してきた各種改善方法の効果を比較しました。
SRPPはNFBをかけない場合プル側波形が著しく歪むため、出力をACカップリングで見た際のプッシュ側振幅を横軸としました。
NFBなし SRPP単品 THD+N 何もつけない最小構成の回路ですと、リップルの影響で+Nが大きくなるため、測定は全てリップルフィルタありとしました。
リップルフィルタを付けると、プッシュ側振幅0.5V辺りにかけて右下がりになっている部分(+Nが支配的になっている部分)の特性が2~10%程度改善します。

バイアスダイオードがない場合のSRPPの特性は、4章で見てきた「3つの動作領域」を示す特徴的な形をしてきます。
まずエミッタホロワA級動作領域は振幅が大きくなるにつれて+Nの影響が減っていき特性が改善していきます。
次に0.6V付近~不感帯にかかり始めると急激に悪化します。
THD+Nは3V付近でピーク35.7%になり、その後は振幅に占める不感帯の割合が下がるにつれて特性が良くなっていきます。
この特性は、出力ダイオードを高速なスイッチング用ダイオードに変えてもほぼ同じ特性となりました。
ダイオードを高速化してもTHD+Nが改善されなかったのは、整流ダイオード使用時に付加されるtrrによるスイッチング時ノイズは数μ秒のオーダーであり、周波数で見た時に測定範囲である20kHzを超えていてWaveSpectraでの測定ではノイズとして見えてこなかったためと考えられます。

ブートストラップを付けると正帰還の作用で全体的に特性は悪化しピークでは54.4%に達しましたが、35Vで頭打ちだった最大振幅が40Vまで取り出せるようになりました。
また、最大振幅付近の下がり方が、ブートストラップがない場合は20V付近から曲線的に下がっていきますが、ブートストラップがある場合は最大出力まで直線的に下がっています。
波形で確認したようにブートストラップがあると最大振幅付近でもプッシュ側波形が丸まらない(=高調波が取れない)、ブートストラップがない場合はエミッタホロワのベース電流が不足してプル側波形が丸まってくるという違いがあるためと考えられます。

バイアスダイオードは圧倒的な効果がありました。
バイアスダイオードありのTHD+Nが最小となる1V付近でバイアスダイオードなしと比べると、20%も改善しています。
グラフの形で見ても「小信号時は+Nの影響で右下がり、1V付近から振幅が大きくに連れて歪も大きくなっていく」という、普通のアンプと同じような特性になっています。
ただしブレッドボードで組もうとすると熱結合が面倒くさいtめ、あまり積極的にバイアスダイオードを使いたいとは思いません。

NFBありの場合


続いてNFBの効果を比較してみました。
NFBあり SRPP単品 THD+N NFBは魔法の薬です(笑)
NFBなしでピーク35.7%あったものが、弱NFBでもピーク15.1%、強NFBでは5%を切り4.7%まで下がりました。
5%くらいに収まってくると、ラジオやネット動画といったトークを聴く分には気にならなくなってきます。
ただしNFBを増やすことでゲインが下がりますから、ゲインが足らずフル出力が出せなくなってしまいました。
さらにNFBを増やし1%を目指したいところですが、1段増幅ではゲインが足りません。
次章では、ゲインを確保しつつNFBをかけられるようにトランジスタを追加していきます。

6. 実用的な2段構成

µPC1382Cに倣って2段構成の回路にするとNFBをたっぷりかけつつ実用的なゲインを得られるようになり、実用的なアンプになります。
プリアンプ部は低電源電圧でよいためOPアンプを使って組むこともできますが、せっかくですからディスクリート構成としました。
実用的な2段構成のSRPPアンプ SRPP部分はR2=1kΩとhieが並列になり、数百Ωの入力インピーダンスとなります。そこでプリアンプ部は「エミッタ接地+エミッタホロワ」の構成とし、エミッタホロワ部は出力インピーダンス100Ωと十分に低くなるようにしました。
プリアンプ部の電源は別に用意する必要がありますが、USBや携帯充電器など入手性のよい5Vととしました。

NFBはプリアンプ部含めてオーバーオールでかけます。
Gain段トランジスタのエミッタにNFB信号を入力することで、NFB信号に対してGain段トランジスタはベース接地として働きNFBが掛かります。

発振止めコンデンサについては、組んでみて全体的に発振するようならレトロテレビの回路に倣って出力端子から位相補償、プッシュだけが発振するようなら単品の時と同じようにTr1のベースのそばでR3に並列に挿入しTr2の高域利得を下げます。

THD+N 改善効果の確認

THD+Nで単品の場合からどれくらい改善されるかを確認してみます。
バイアスダイオードなし+ブートストラップなし+整流用ダイオードの組み合わせです。

比較は単品と同じゲインのアンプを2段構成で作った場合にどれくらいTHD+Nが改善されるかという観点で行います。
つまり、1段追加した分がそのままNFBへ回せるということです。
2段構成 vs SRPP単品 THD+N SRPP単品のNFBなし相当の125倍では、最大値で35.7%が2.38%まで改善されました。
SRPP単品の弱NFB(入力に1kΩ追加のみ)相当の50倍では、最大値で15.1%が0.98%まで改善されました。
どちらも最大値で歪率が約 1/15 になっています。
2段構成、素晴らしいです!
Rf=51kΩでは、フルパワーまで鳴らせるゲインを得つつ、バイアスダイオードなしで THD+N 1%を達成できました!
ここまでTHD+Nを下げられれば、トークだけでなく音楽を聴いていても歪が気にならなくなります。
Rf=51kΩならばロックやポップスはもちろん、オルゴールを聴いてもよほど集中して効かない限り歪みが気になるということもありません。
オルゴールは再生難易度が高く、歪んでいるアンプで聴くとスピーカーのコーンに物が接触している時のような「ザラザラ」という感じに聞こえる非常に耳障りなノイズするためアンプの性能を判断しやすいです。
Rf=130kΩでオルゴールを聴くと若干ザラザラ聞こえますが、我慢できないほどではありません。

バイアスダイオードありでも比べてみました。
2段構成 vs SRPP単品 THD+N バイアスダイオード付き バイアスダイオードを付けることで~25Vでは125倍でも1%を切ることができました。
ただし実際問題として、JAZZやポップスでバイアスダイオードあり・なし聞き比べてみても差が分かりませんでした
バイアスダイオードをショートするスイッチを付け、音を鳴らしながら切り替えてみても差が分かりません。
※歪むアンプに厳しいオルゴールで比べると差が分かります。

バイアスダイオードは無い方がアイドリング電流が流れない分消費電力が減りますし、 熱暴走リスクを取って2段構成SRPPにバイアスダイオードを導入しなくてもバイアスダイオードなしでNFBを増やせば良いと考えます。

Appendix 最小構成回路の設計計算

SRPP回路は設計計算を開設した工作サイトや書籍が見つからなかったため、SEPPアンプの考え方をもとに考えて作りました。
最小構成回路をどのように考えて作ったか残しておきます。

電源は安定化しませんから大音量を出すと電圧降下します。
音が鳴っていない場合85V、鳴っている場合80Vとして考えています。

負荷を決める

電源電圧は手持ち部品で決まってしまい、最大出力は電源電圧で決まっていまうため、負荷は何Ωの負荷までつなげるようにしたいかを考えます。
手持ちのハイインピーダンススピーカーは1W・3W・6W対応となっており、ハイインピーダンススピーカーは100Vrms時に定格出力となることから6Wタップのインピーダンスは約1.67kΩです。
そこで余裕を見て負荷抵抗1kΩ以上としました。
1kΩ以上あれば、1Wのハイインピーダンススピーカー(10kΩ)を10台まで並列で鳴らせる計算になります。

抵抗を決める

冒頭のレトロテレビの回路を先生として、抵抗値を決めていきます。
無信号時のTr1のエミッタ電位がR1・R2で決まります。
まずR2については、レトロテレビの回路で使われている1kΩとしておくのが計算が楽です。
そこでR2 = 1kΩで据え置きました。

次に無信号時のTr1のエミッタ電位を決めます。
プッシュプルアンプの無信号時電位は、最も大きな振幅が取れる電源電圧の半分(中点電位)にするのが一般的ですが、ここではレトロテレビ回路図記載の電位を参考に、中点電位より少し下げた35Vを狙いました。
理由は、プッシュ動作の際にTr1にべース電流を流すためのマージンを持たせるためです。

流をエミッタホロワとして動作しますが、中点電位を狙ってしまうと上側フルスイングが電源電圧となり、R3に電圧降下が発生しません。
そこで、フルスイング時でもTr1にベース電流が流れるようマージンを持たせておく必要があります。
マージンが大きすぎると最大出力電圧が小さくなり、マージンが小さすぎるとR3を小さくしなければならずR3・Tr2の発熱が増えてしまいます。

※この点については、後ほど「6章 歪を低減する」にて、ブートストラップコンデンサを付けて中点電位狙いでVccまでスイングできるように改良していきます。

そこで10V程度のマージンを持たせることとし、最大出力電圧を70Vとしました。
最大出力が70Vとすると、振幅は35V、つまりTr1の無信号時エミッタ電位は35Vとなります。
振幅35Vあれば、1Wのハイインピーダンススピーカー(10kΩ)を
(35/√2)^2 / 10000 = 61.25mW で鳴らすことができ、BGM程度ならなんとか実用になりそうです。

狙い電圧が35Vと決まりましたので、R1を決めることができます。
0.6(1+R1/R2) = 35 及び
R2 = 1kΩ より
R1 = (35-0.6) / 0.6 = 57.3(kΩ)
E24系列から近い値を決めて
R1 = 56kΩ
としました。

次に出力電流をもとにR3を決めました。
最大振幅が35Vと決まりましたので、 1kΩの負荷を接続した際のピーク電流は、
35 / 1000 = 35mA
となります。

パワートランジスタのhfeは低めで、手元にいくつかあるパワートランジスタのMIN値から
Tr1のhfe を 40 とすると最低限必要なベース電流は、
35 / 40 ≒ 0.9mA となります。

一方、Tr1のベースエミッタ間電圧降下Vbe=0.6Vとすると、プッシュ側ピーク電圧(Tr1のエミッタ電圧が70V)の時にR3に掛かる電圧は、
音が鳴っている際の電源電圧80Vより
80 - (70 + 0.6) = 9.4V
先ほど求めた必要なベース電流を流すためには、R3は
9.4 / 0.9 = 10.4kΩ
以下である必要がありE24系列から
R3 = 10kΩ
と決めました

抵抗値が決まりましたので、抵抗の容量を確認します。
交流成分は平均0Vですから、無信号時の電位関係から公式
P = V^2 / R でサクサク計算して行けばOKです。

R1 : (35-0.6)^2 / 56000 = 21mW
R2 : 0.6^2 / 1000 = 0.36mW
R3については音が鳴っていない際の電源電圧85Vより、
R3 : {85-(35+0.6)}^2 / 10000 = 244mW
以上からR1・R2については1/8WでOK、R3は余裕を見て1/2W(実験だけなら1/4でも一応OK)です。

※お断り
電源電圧が高くR3の発熱が無視できないため、オーディオ設計でよく使う「hfeからもとめた必要なベース電流の10倍」とはせず、「hfeのカタログMIN値ギリギリ」として計算しました。

コンデンサを決める

コンデンサは耐圧に注意が必要です。
まず入力カップリングコンデンサですが、こちらはTr2にエミッタ抵抗がないことから、ベース電位の0.6V前後の電圧しかかかりません。
よって、安いCinは耐圧16Vで十分です。
入力カップリングコンデンサはR1・R2・hieとHPF(ハイパスフィルタ)を形成しますから、カットオフ周波数で容量を決めます。
私は低音が大好きなので、カットオフ周波数10Hz以下として決めています。
hieはおおよその値しかわかりませんので、hieを少なめに見積もって考えます。
Tr2のバイアスによるコレクタ電流は、R3を流れる電流から(80-35)/10000=4.5mA
熱電圧を26mVとすると、Tr2のエミッタ抵抗reは
re = 26 / 4.5 = 5.78Ω
hfe = 40, ベース拡散抵抗を50オームとすると
hie = 50+(1+40)*5.78 = 287Ω
R2との並列抵抗で見ると
入力インピーダンスZin = 223Ω
カットオフ周波数= 1/(2πCR) ≦ 10Hzとするためには、
C > 1/(2π×223×10) = 71μF
E12系列からCin = 100μFとなります。
hfeをかなり小さく見積もっているため、実際はもっと低音が出る方向に行きます。

次に出力カップリングコンデンサも同じように決めます。
まず耐圧ですが、何らかの原因で出力がプラスに張り付いた場合、Coutには最悪電源電圧がかかります。
よって電源電圧より大きな耐圧が必要であり、ここでは電源電圧85Vに余裕を持たせると、
一般的なラインナップの中からCoutは耐圧100V以上としました。
次に容量ですが、最小負荷を1kΩとしましたから、カットオフ周波数を10Hz以下とするためには
C > 1/(2π×1000×10) = 16μF
E12系列から、Cout = 22μFとしました。

トランジスタを決める

トランジスタはTr1・Tr2違うものを使っても動作はしますが、オーディオとしてみた時にプッシュ側とプル側で特性が違うというのはあまり気持ちの良いものではありません。
そこでTr1とTr2は同じパワートランジスタを使うものとし、厳しいほうの値を満足する石を選定していきます。

耐電圧


SRPPは電源電圧が高く、適当な石を使うと簡単に定格オーバーとなりますから注意が必要です。
トランジスタのコレクタエミッタ間・コレクタベース間には最大で 電源電圧 がかかります。
例えばTr2のコレクタ電圧がGND付近まで下がっている時、Tr1のコレクタエミッタ間には電源電圧からダイオード1つ分の電圧降下を差し引いた
Vcc-0.6V が掛かり、Tr1のコレクタベース間はVccが掛かります。
逆に入力信号過大でTr2のベース電圧が0Vになった際は、Tr2のコレクタ電圧はR3によりVccまで引き上げられます。
よってTr2のコレクタベース間・コレクタエミッタ間電圧はVccとなります。
以上から、
コレクタベース間電圧Vcbo > 電源電圧
コレクタエミッタ間電圧Vceo > 電源電圧
を共に満足する必要があります。
次にベースエミッタ間の逆耐圧Veboですが、こちらはTr1に絡んできます。
Tr1がオフ(プル動作)の時、Tr1のベースエミッタ間はダイオードの電圧降下により0.6V、ダイオードの品種によっては1V程度の逆バイアス状態となります。
余裕を見て
エミッタベース間電圧Vebo > 2V
あれば十分でしょう。Veboについてはほとんどのトランジスタが5Vとなっていますから、ほとんど気にしなくてもOKです。

コレクタ電流


コレクタ電流は、最大のピーク電流が最大定格を超えないようにする必要があります。
定格表によっては「尖頭コレクタ電流 Ic(peak)」が別に書かれている場合もありますが、話がややこしくなるため「尖頭コレクタ電流」のスペックは無視して「コレクタ電流Ic」で見ればOKです。
尖頭コレクタ電流より普通のコレクタ電流の方が定格が小さく、安全側に見ることになります。
製品設計ではコストが絡んできますが、電子工作でしたら安全側に見ておけばOKです。

ハイインピーダンススピーカーにはスイッチがつきものです。
放送先選択スイッチ、アッテネータといったものでついています。
となると、Coutが全く充電されていない状態 かつ Tr1のエミッタ電圧が電源電圧まで上がっている瞬間にスピーカーが接続されるという状況を考えておく必要があります。
これはつまり、電源電圧に1kΩが接続されるのと同じですから、今回の場合
最大コレクタ電流 = 85 / 1000 = 85mA
余裕を見てIc > 100mA以上としておきます。

※先ほど抵抗の計算の際に最大電圧を70Vとしましたが、70Vはあくまでも歪まない音量で負荷が接続されている状態を想定しています。
 無負荷状態ですとTr1はほぼベース電流がゼロですから、過大入力を前提としてTr1のエミッタ電圧は電源電圧まで上がるとして考える必要があります。

コレクタ損失(消費電力)


続いてコレクタ損失Pc(トランジスタの消費電力)を確認します。
今回は無信号時の電位を中点からオフセットしているため、Tr1とTr2のコレクタ損失がアンバランスになります。
よって、「最大出力の約0.2倍」で概算することはできません。

電子回路の教科書には積分が出てきますが、簡単のため実効値を用いて四則演算だけで計算します。

まず、負荷に流れる電流(≒コレクタ電流となる)を求めます。
最大振幅35Vより実効値に直すと35/√2 ≒ 25Vrmsとなります。
実効値で考えると、直流で考えることができますので積分計算せずに考えることができます。
コレクタ損失を実効値で考える
最小負荷1kΩより、負荷の電流=トランジスタを流れる電流は、
25 / 1000 = 0.025Arms

ベース電流を無視すればトランジスタの消費電力は、
コレクタ・エミッタ間電圧 × コレクタ電流 ですから、
Tr1側半サイクルのコレクタ損失は (80-60) × 0.025 = 0.5W
Tr2側半サイクルのコレクタ損失は (10-0) × 0.025 = 0.25W
Tr1・Tr2は半サイクルずつ交代して負荷を駆動するため、1サイクルでのコレクタ損失は半サイクルで計算した値をそれぞれ半分にすればよく
Tr1のコレクタ損失は 0.25W
Tr2のコレクタ損失は 0.125W

大きい方に合わせて最低必要な許容コレクタ損失は0.25Wと分かります。
周囲温度が高いと許容コレクタ損失はカタログ値より減少しますし、当然音楽信号はきれいなサイン波ではなく、どちらかに偏りが生じることもあります。
そこで 2倍のマージンを持たせ、Pc ≧ 0.5W とします。

参考文献・サイト

1 周期スイープを用いた周波数特性の測定について
フリーソフトWaveSpectra WaveGene を用いて周波数特性を測定する、ソフト制作者様公式のマニュアルです。
https://efu.jp.net/soft/wg/fresp/meas_fresp.html
2 WaveSpectraを用いた歪率の測定について
フリーソフトWaveSpectra WaveGene を用いて歪率を測定する、ソフト制作者様公式のマニュアルです。
https://efu.jp.net/soft/ws/dist/meas_dist.html
3 庄野和宏;合点!トランジスタ回路超入門
CQ出版社,2012年
4 鈴木雅臣;定本トランジスタ回路の設計
CQ出版社,1991年
5 逆回復時間trrとは何ですか? | 東芝デバイス&ストレージ株式会社 | 日本
https://toshiba.semicon-storage.com/jp/semiconductor/knowledge/faq/diode/what-is-trr.html
6 UPC1382C Datasheet(PDF) - NEC
https://www.alldatasheet.com/datasheet-pdf/pdf/169296/NEC/UPC1382C.html